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  私の童貞経験と懺悔物語

01: 名前:名無しさん投稿日:2014/03/08(土) 11:06


私の童貞喪失は遅くて23歳の時でした。
ある地方高校で下宿しながら教師をしていました。
それまでえっちへの関心はスポーツでまぎらす
教育への情熱に燃えた新任教師でした。
6月に下宿に19歳のもと理容師見習いの女の子I・S香がやってきました。
理容店の主人に処女を奪われて、訴訟になり、店も家もでてきたんだそうです。
境遇に同情した私は話を聞いてあげました。
そうしているうちに、7月の夏休みの日に彼女が私の部屋へやってきました。
自分から誘ったということで裁判が敗訴になり、
もうどこかへいくしかないとのことでした。
そして彼女は私に抱きついてきました。彼女は黒い下着をみにつけていました。
初めてみる女性のあそこでしたが、
結婚する相手でもない女性とのえっちはいけないことだという倫理観で
かえって私の息子は萎えていました。
彼女はフェラをして元気にさせて、上に乗って入れさせてくれました。
そのまま中だし、最高に気持よく、オナニーとはくらべものにならない快感でした。
2発目からは本来の元気がでて、女のあそこをよく観察しながら、その日5発やりました。
腰はすっきりし、大人になったんだという満足感でいっぱいでした。
翌日からS香はどこかへいってしまいました。
セックスの良さを知った私は、大学時代の女友達や後輩をつぎつぎと呼び出しては
ラブホへ連れ込みエッチしました。彼女達は大学時代のまじめな私を知ってしましたから、安心してついて来ましたが、ラブホへはいると変身して強引にやりました。5人のうち2人が処女でした。が、それぞれ別れました。
新人研修などで出合う同期の女教師も、かわいいのを選んでつきあい、ラブホへつれこんでは、えっちしました。25歳までに、4人としましたが、3人処女でした。30歳までは結婚しないというと、1人以外とは別れました。1人だけは28歳までまっていました。が、結局、他の教師と結婚していきました。
24歳ごろから、お見合いの話がぞくぞくと来るようになりました。高校教師で独身、まあ見栄えもいいほうでしたから、いくつも来ました。最初に選んだのは清楚な感じの銀行員の女性でした。3度目のデートでホテルに誘いました。が、処女ではありませんでした。そこで、保母さんや小中の教師を選んで、28歳までに7人としましたら、4人処女でした。お断りしても世間体を考えて問題にはなりませんでした。
学校の同僚女教師には、うわさになるのがいやなので、手を出しませんでしたが、一人だけ、とっても素敵な国語科の先生R子がいました。おたがい、生徒やほかの先生には知られないようにしてつきあっていました。25歳の私の誕生日に下宿によんでとうとうえっちしました。R子は24歳で、もちろん処女でした。彼女とはその後も生徒やほかの先生にわからぬよう2年間つきあいました。が、煮え切らない私にあいそをつかしてほかの男性教師と結婚してしまいました。
生徒には手を出しませんでした。が、26歳のとき、もと教え子で美人の大学4年生のM子とえっちしました。高校時代から私を好きだといっていました。処女でした。彼女とは結婚してよいと思っていました。翌年、中学の教員となって赴任してきました。が、私の見合い相手で振った女性と一緒の職場になってしまい、私の不行跡がばれてしまい、振られました。
教え子では、もう一人だけ元教え子で大学4年のK子に手を出しました。成績もよく美人で模範生で生徒会長もつとめていました。生徒会の顧問をしていましたから、当時から手紙やメールのつきあいをしていました。私が29歳、K子が大学4年の時でした。夏休みで帰省してきていたK子をラブホに誘いセックスしました。思った通り処女でした。しかも自然とひくひく締まる名器でしたからつい中だししました。みごと妊娠してしまいました。それで、彼女の大学卒業をまって結婚しました。いままでの女性に対するひどい仕打ちを悔い改め、教師をやめることにして、それ以来は、妻になったK子だけを愛して、現在にいたっています。

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