平安時代の「逢う」は、ストレートに「セックスする」ということ |
- 01: 名前:名無しさん投稿日:2019/01/18(金) 08:50
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逢う=セックスする
百人一首の中に、こういう和歌があります──。
逢ふことのたえてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし
ざっと見ると、「あなたとずっと逢えないから、あなたも恨むし自分のことも恨んでしまう」というような和歌だと思うかも知れません。
「女だからグジグジ言ってんのかなァ」などと。でもこの作者は男です。
「そうか、心のモヤモヤを和歌にするんだから、男でもこんなにメソメソしてみせるんだ」とお思いかもしれませんが、この和歌は「君に逢えなくて悲しい」という和歌ではありません。
平安時代に「逢う」といったら、これはもうストレートに「セックスをする」です。
なにしろこの時代の女は、下ろした御簾(みす)の向こうにいます。
男がやって来ても、御簾の内側に厚い几帳を立てて、男の言うことを一方的に聞くだけで、直接話をするどころか、身動きしてそこにいる気配さえ感じさせません。
話をするのは中継ぎの女房を通してだけで、密室性の少ない空間にいるのに、「そこにいるらしいな」と思えり
<省略されました> [全文を見る]
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